週末金曜日に仕事帰りの休憩室で、同僚と岸和田だんじり祭りの話題で盛り上がったのを機に、翌日の祭礼の日に、久しぶりに岸和田のだんじり祭りを見て来ました。
岸和田には数年前も行き、地元ソウルフードの「かしみん焼き」を食べた事も確かブログに書いたはずですが、だいぶ前の話なので、いつ書いたか思い出せなくて、その感触に再び浸りたかったのもあって。
「かしみん焼き」というのは、いわゆる洋食焼きの一種です。今風に言えば広島焼きに相当するのかな。
小麦粉を溶いてキャベツや豚肉などの具と混ぜ合わせて、鉄板の上にドテッと載せて、ジュージュー焼く大阪のお好み焼きとは違い、鉄板の上に、先に小麦粉を薄く広げ、その上に刻みキャベツを載せ、かしわ(鶏肉)片と牛ミンチを載せて焼きます。かしわとミンチを使う事から「かしみん焼き」と称されるようになりました。(参考記事:かしみん焼きは大阪岸和田の名物料理!名前の由来やレシピを紹介 | お食事ウェブマガジン「グルメノート」)
岸和田市内でも、浜手(海岸沿い)の下町の一部でしか食べれないソウルフードです。粉もん文化の大阪人でも、ご存知ない方が少なくありません。でも私にとっては、ドテッとして胃にもたれるお好み焼きよりは、クレープ感覚で気軽に食べれる「かしみん焼き」の方が好きです。
南海岸和田駅に着いたのは土曜日の午前10時半頃でした。駅のトイレの前には長蛇の列が出来ていました。女性トイレだけでなく男性トイレもです。商店街の前はもう黒山の人だかりで、写真撮影も無理なので、商店街の方に回って駅の方に向かって、だんじりのやり回しの動画を後ろから撮りました。
ここで、だんじり曳きの主な役割分担について説明しておきます。何十トンもあるだんじりを曳くには、何十人もの曳き手が必要です。曳き手にはそれぞれ役割があります。先頭を行くのは交渉役。昔はだんじり同士が行き違う際に、どちらを先に通すか交渉するのが仕事でした。だんじりコースが一方通行となった今は先導役に変わりました。
その次にたんじりの綱を引くのが、前から順に綱先・綱中・綱元の担当者。綱を引き、その動きを後ろに伝えます。
そして、たんじり前の左右に1人ずつ取り付き、コーナーでだんじりの車輪と地面の間に梃子を差し入れ、重いだんじりの方向転換を促す役割を果たすのが前梃子(まえてこ)。非常に危険な仕事なので、ベテランの曳き手が選ばれます。
だんじりの前面には町内会長と曳行(えいこう)責任者が乗り込み、全体の指揮を執ります。だんじりの横に座って笛や太鼓で囃し立てるのが鳴り物の係で、左右に数人が乗り込みます。
そして、だんじりの上で法被(はっぴ)姿で華麗に舞うのが大工方(だいくがた)。ただ舞うだけでなく、だんじりの進む方向を後ろの曳き手に伝える重要な役割を担います。この仕事も危険を伴うので、ベテランが選ばれます。
だんじりの後ろで、ブレーキ役を果たすのが後梃子。重いだんじりの重しの役割を果たさなければならないので、数十人がだんじりの綱に取り付き、後ろからだんじりを引っ張ります。
その他にも、だんじりの進む横で、見物人や車が進路に進入しないように交通規制を行う安全委員など、多くの人がだんじりの曳行を支えています。(参考記事:曳行時の役割 - 岸和田だんじり祭 - 岸和田市公式ウェブサイト(観光課))

その後、昼食に「かしみん焼き」を食べようと、過去の記憶を頼りに、浜の手の下町にあるお好み焼き屋を訪ねましたが、休業中の張り紙が出ていたので、もう無理かと諦めていた所…。
何と帰りの屋台で、「かしみん焼き」を食べる事が出来ました!1皿600円と、屋台の割には良心的な価格で。屋台で買った物なので、昔店で食べた物よりは見劣りしますが、それでも正真正銘の「かしみん焼き」です。箸で割ったら、中からかしわのかけらが出てきました。


ちょうどその時に私が着ていた黒のTシャツ、数年前に西成のあいりん地区に住んでいた時に、釜ヶ崎の夏祭りで買った「黙って野垂れ死ぬな、やられたらやり返せ」と書かれた、あのTシャツを、屋台の人に「カッコ良い」と褒めていただきました。
でも、薄っぺらい「かしみん焼き」だけでは少し物足らなかったので、大通りの別の屋台で、焼きそばを注文したら、勝手に大サイズの焼きそばにされて、並サイズの400円ではなく600円も取られて少し興醒め。それさえ無ければ、もう最高の1日だったのに。
岸和田の中でも、浜手のあの辺りは昭和情緒の残る下町で、だんじりを曳く青年団の詰所(だんじり小屋)がそこかしこにあり、詰所の中では曳き手の兄ちゃんがお茶を飲んだり、弁当を食べたりしていました。見物人も大通りと比べたら少なめで、だんじりのやり回しを正面から動画に収める事が出来ました。
岸和田は昔からの城下町で、今も各町内には町内会が組織され、だんじり祭りも町内会を束ねた年番組織の主催で行われます。だんじりの曳き手も全員が各町の法被を着て、だんじりを曳きます。

岸和田地区ハッピ紹介 - 岸和田だんじり祭 - 岸和田市公式ウェブサイト(観光課)
今思えば、かつて住んでいた西成のあいりん地区、通称「釜ヶ崎」で猛威を振るった暴動も、昔の釜ヶ崎ではこのだんじりに相当する祭りだったのかも知れません。いきなり不謹慎な事言ってしまってアレですが。
かつて、あいりん地区では、暴力団やその配下の手配師によるピンハネ搾取に怒って、日雇い労働者が何度も暴動を起こしました。世間では単なる暴力沙汰としか思われていない暴動も、低賃金の一掃やアブレ手当(日雇い労働者の失業手当)、特別清掃事業の形で、それなりに成果も生み出しました。
しかし、やがて日雇い労働者が高齢化して、それらの労働者が寝起きしていたドヤ街も、外国人バックパッカー向けの観光ホテルや、生活保護受給者の福祉アパートに様変わりし、街からは活気が失われてしまいました。今の中国人居酒屋の繁栄は、あくまでも単なるバブル景気に過ぎません。景気で潤うのは居酒屋の中国人だけで、福祉アパートの住民には何の恩恵もありません。
しかし、岸和田ではまだその活気が、だんじり祭りなどの形で、今も町中に息づいています。だんじりが終われば、「また来年のだんじりまで頑張ろう」と、地元の人たちが、また日々の仕事や商売にいそしみ始めます。その元気を私ももらいました。