
すみません。ブログ更新がまたまた滞ってしまいました。夏バテとパソコン不調の他に、脱原発との関連での原水禁大会の資料収集に、思いの外時間がかかってしまいました。
その原水禁大会ですが、今年は「脱原発」を巡って、広島と長崎で好対照を見せました。広島大会の「平和宣言」では、「脱原発を主張する人々もいる現状を真摯に受け止め」という、ある種腰の引けた表現に止まりました。それに対して、長崎大会の「平和宣言」の方では、出だしから福島原発事故について述べ、「ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか」と、原発推進政策の見直しを強く主張する形となっています。
同じ事は運動団体の宣言文書についても言えます。原水禁(原水爆禁止日本国民会議)は、福島で広島・長崎に先立って世界大会を開催し、「脱原発」を強く打ち出すに至りました(注:参考資料1)。それに引き換え、原水協(原水爆禁止日本協議会)の方は、核兵器廃絶については原水禁よりも具体的に国際情勢とも絡めて強く打ち出す一方で、脱原発については既存の脱原発運動との「連帯」表明に留めるという、及び腰ともとれるものになりました(注:参考資料2)。
日本の原水禁運動は、唯一の被爆国という事もあって、他国にはない大衆的広がりを持ち、その事で世界の反核運動にも強い影響を与えてきました。その一方で、当時の革新陣営内部の政党対立を反映して、原水禁(旧社会党系)と原水協(共産党系)の二派に別れ、世界大会も近年はずっと別個に開催してきました。(この他にも旧民社党系の核禁会議=核兵器禁止平和建設国民会議があるが、前二者と比べその勢力は小さく、活動にも見るべきものはないのでここでは割愛する)
1954年のビキニ事件を機に一気に盛り上がった原水禁運動の統一体としてまず原水協が発足し、そこから1965年に原水禁が分裂しました。分裂に至る経過は複雑です。まず中ソの核武装を巡って、それを米国の核軍拡に対する防衛措置として、寧ろ擁護すべきだとする立場と、「中ソも含め、いかなる国の核武装・核実験にも反対すべきだ」とする、所謂「いかなる」問題を巡る対立がありました。今から見れば、中ソの核も防衛的とはとても言えず、この点では原水禁のほうに分があったのは確かです。しかし、運動面では寧ろその原水禁の方が、地上核実験のみ禁止し地下核実験については野放しで、核拡散阻止には何ら役立たなかった米ソ部分核停条約を手放しで礼賛し、それを原水禁運動に押し付ける愚を犯しました。(その後やがて原水協も中ソの核実験を非難するようになる)
そういう意味では、セクト的に運動を引き回し、特定の立場を運動に押し付ける点については「どちらもどっち」であり、「どちらか一方がセクト的だった」という事は言えないのです。
この対立に当時の中ソ対立も絡んで、1963年の原水禁世界大会は流会に追い込まれ、1965年には正式に原水協・原水禁の二派に原水禁運動が分裂する事になります。それ以降は、基本的に二派がそれぞれ別個に原水禁世界大会を開催してきました。途中で統一大会として開催された時期もありましたが(1977~85年)、それも長続きしませんでした。(より詳しくは、ウィキペディアの原水禁・原水協の項目を参照)
以上の経過の中で、原水禁が「脱原発」を強く打ち出す一方で、原水協も「核兵器の即時廃絶、軍事同盟からの離脱(非同盟)」を強く打ち出すに至ります。今から思えば両者は何ら矛盾するものではなく、寧ろ相互補完の関係にあると言えるのですが、現実にはなかなかそうはいきませんでした。原水協が「脱原発はまた別個の問題であり、それを核廃絶運動に持ち込むのは誤りだ」との立場を取れば、原水禁も原水禁で、核廃絶に言及はするものの、実際には安保・原発肯定の核禁会議と共同歩調をとるという矛盾した行動を取ってきました。その中で、私もかつては共産党系の市民生協職員として、原水協と同じ立場に立っていました。今思えばこれは間違いであったと反省しています。正しくは「脱原発」も「核の即廃絶、非同盟」もどちらも重要であり、その点から当時の原水禁・原水協を批判すべきでした。
しかし、何故「脱原発」と「核の即廃絶、非同盟」が両立しなかったのか。原水禁が大会で早々と「脱原発」をアピールしたのに対して、原水協の大会アピール文書が何故今に至るも中央サイトで公開されないのか(私の資料収集がてこずった理由もそこにある)。この事をずっと考えてきました。なるほど運動団体レベルでは、「政府やその御用団体である核禁会議との腐れ縁」や、「その腐れ縁に対する機械的反発」という事もあるのでしょう。でもそれだけでなく、運動団体とは別に個人のレベルでも、「核廃絶を訴えるだけでも大変なのに、その上に更に脱原発もなんて手に余る」という思いがあったのではないでしょうか。実際、下記のブログ記事や新聞報道の中にも、その辺の微妙なニュアンスが感じられます。
>広島や長崎から親が「原発事故はたいしたことがない」として理解しないという訴えが届いています。自宅に孫と避難した娘に対して、「原爆でも大丈夫だから、大丈夫」と言われ続けて、困っていると言う話は、長崎からも広島からも聞いています。しかも原爆に反対していた団体が、原発の事はいえない様子が分かると、日本の原爆反対運動のある部分、しかし根幹のところで、何も考えていなかったし、若い世代の健康被害をきちんと考慮しないのに唖然とします。あなたたちがうけた放射線、特に兵器としての熱線の被害は大変ですが、目に見えない放射性物質による被害は長期化し、健康面に何世代にも被害を与え続けます。見えない分、長期的な被害は大きいのです。福島第一原発からふっている放射性物質は尋常な量ではありません。すでに原爆何十発分になっているという認識を持ってください。あなたたちの子孫はその脅威に生き続けているのです。―「長崎原爆投下の日に、首都圏(関東)放射性物質土壌調査の反響について僕が思うこと」(放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ)より
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/ff0015bf2fcbdb1ea732bfbdf481da07
>湯崎(広島県)知事は「式典は本来、被爆者や核兵器(廃絶)について考える時間」と強調。「核兵器廃絶と方向が違う『脱原発』が注目されるのはいかがなものか。注目が集まる場で支持率上昇を狙った発言と疑われても仕方がない」と述べた。―「知事が8・6首相発言を批判」(中国新聞)より
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201108100017.html
でも、それは乗り越えなければならないし(勿論私も含めて)、乗り越える事は充分可能だと思います。福島原発事故を機に、政府・財界や読売・産経の世論操作にも関わらず、今や「脱原発」志向が世論の6~7割を占めるに至っています。「核の即時廃絶、非同盟」についても、核戦争になれば「福島原発事故」以上に悲惨な結果になるのは火を見るより明らかです。吉永小百合さんが今年の日本母親大会で訴えたように。原発を地方に押し付け下請け労働者の被曝の上に胡坐をかく論理は、安保のツケを沖縄や岩国に押し付けている論理と全く同じです。
>吉永さんは朗読前のあいさつで、「『原子力の平和利用』という言葉を、今まであいまいに受け止めてしまっていた。『もんじゅ』(福井県敦賀市の高速増殖原型炉)が恐ろしいことは聞き、廃炉に向けた運動はしていたが、普通の原子力についてもっともっと知っておくべきだった」と話した。そのうえで「世の中から核兵器がなくなってほしい。原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。―「吉永小百合さん「原発なくなって」 原爆詩朗読会で発言」(朝日新聞)より
http://www.asahi.com/national/update/0731/OSK201107310058.html