アフガン・イラク・北朝鮮と日本

世間体、年相応、分をわきまえろ、空気を読め…毒親イデオロギーの家父長制粉砕!

WEも代替改悪も徹底粉砕!我々は「働く機械」ではない!


※写真はチャップリン「モダンタイムス」のDVD。引用はツタヤのHPから。
 
 前回記事で紹介の、2月9日の『「ホワイトカラー・エグゼンプション」(以下、WEと略称)導入を絶対に許さない!大阪法律家7団体共同シンポジウム』に参加してきました。会場に着いたのは開演時間ギリギリの18時半で、着いたら直ぐにシンポジウムが始まりました。会場のシアターホールは人が一杯で、ほぼ満席に近い状況でした(後日確認した所では約700名参加との事でした)。
 最初に田島さん(労働政策審議会労働者代表委員)の情勢報告があり、それから西谷さん(大阪市大教授)の基調講演、各職場・過労死遺族からの訴えと続き、その次に会場からも「私も一言言いたい」という形で数人の方から発言があり、最後にアピールを拍手で採択して終了しました。

 このシンポジウムで私が一番勉強になったのは、西谷さんの、「WE―10の設問と解答」と題する講演です。この講演で、WEの本質を分りやすく突いておられました。以下、その「10の設問と解答」の要旨について解説していきます。但し、解説には私自身の思い入れも相当入っていますので(書いているとどうしても感情移入してしまうのです)、その点はご留意を。

(1)WEとは何か?

 世間では「残業代ゼロ」法案と揶揄されているWEですが、それはあくまでも現象面から見た捉え方です。現行の1日8時間・1週40時間の労働時間規制に大きく穴を開け、働きすぎの歯止めを骨抜きにして、「お前らは働く機械だ!死ぬまで働け!」という状況に多くの労働者を追いやる。それがWEの本質なのです。
 それに対して国は「そうではない、歯止めはちゃんと在る」と詭弁を弄していますが、そんなモノは嘘っぱちです(この事については以下順次後述)。

(2)WEは誰に適用されるのか?

 「管理職一歩手前の者」なのだそうですが、その規定は曖昧で、如何様にも解釈出来る代物です。
 具体的には「労働時間だけでは仕事の成果が評価出来ない者」「相当の権限と責任の在る者」「勤務時間を自分で自由に設定出来る者」の3要件を全て満たす者なのだそうですが、そのいずれの要件も、どうとでも解釈出来る曖昧な規定であり、それ以前に、実際にはこんな労働者など何処にも居ません。「勤務時間を自分で自由に設定出来る者」など現実には企業のCEOだけです。
 あと4番目の要件として「年収が相当高い者」というのが在りますが、日本経団連では400万円以上のホワイトカラー全て(つまり全勤労者の大半)を対象にしています。それに対して国は、900万円以上だと勝手に言い募って火消しに躍起となっていますが、こんなモノは一旦法律さえ作ってしまえば後は政省令でどうとでも出来ます

(3)誰が何のために推進してきたのか?

 日米の政府・財界が、「お前らは働く機械だ!死ぬまで働け!」という状況に労働者を追いやる為に、です。推進者は、日本経団連と、その意を呈した規制改革会議や経済財政諮問会議。裏で糸を引いているのが在日米国商工会議所です。
 目先の動機は、この間の不払い残業偽装請負取締りの厚労省通達の効力失効。「赤信号で止まらなければならない様な不便な法律など丸ごと無くしてしまえ」という理屈です。「ドライバーの利益が最優先、歩行者はみんな死ね」と言うことです。その背景には、90年代以降の資本のグローバル化と、それに伴う賃金や労働条件のソーシャル・ダンピングの流れが在ります。そういうグローバル資本の野望に対しては、「人間らしい働き方」「公正な社会の在り方」を対置していく事が求められています。

(参考資料) WE導入の足取り
岩波ブックレット「これ以上、働けますか?」及び当日配付資料より
・1994年11月 日経連意見書―裁量労働制拡大、WEに一歩踏み出す
・2005年 6月 日本経団連「WEに関する提言」―WE導入を呼号
・2005年12月 規制改革・民間開放推進会議「第二次答申」―WEを政策要求
・2006年 4月 厚労省「時間研報告」―WEを正式に提唱
・それ以降、厚労省労政審・労働条件分科会で素案作りが進行
・2007年2月 労政審分科会「労働契約法・改正労基法」法案要綱提出
 それも、労使の意見が完全に対立したままであるにも関わらず、「概ね妥当である」と結論を一方的に導き出して、そのまま両論併記の形での異例の提出。

(4)労働者に何をもたらすか?

 どこぞのバカ殿が「残業代が払われなくなるのでみんな早く帰宅するようになり、ワーク・アンド・バランスが促進される」などという世迷い言をの給っていましたが、そんな事は絶対に在りません。事実はその全く逆の、正規雇用も非正規雇用も一切合財含めた全労働者の「管理監督者一歩手前=仕事奴隷」化です。
 「明日の朝までに契約を1万件取って来い、時間配分はお前に任す」。そう言われた方が仕事のし過ぎで過労死しても「死ぬまで働けなんて誰も言わなかったぞ~、俺は知らね~ぞ~」でチョン。こんな「自由な働き方、自立的労働」が、今後は「あらゆる働き方の基準」とされようとしているのです。
 「今までも不払い労働や休日出勤が横行しているのに、今更抵抗した所で何も意味ないじゃないか」という人も中には居ます。トンデモありません。今は曲りなりにも労働時間規制が行われているので、過労死も裁判に訴える事が出来るのです。しかし、労働時間の規制が取っ払われてしまったら、いくら過労死しても裁判に訴える事すら出来ない世の中になってしまうのです。そんな「殺され損」を甘受出来ますか?

(5)年収要件をどう見るか?

 労働基準法と言うのは、「人間たるに相応しい労働」労基法第1条の規定、今時の言葉で言えば「ディーセント・ワーク」と言うそうですが)を保障する為に、「万人に」適用されるべきものです。本来、年収だとか身分だとかでより分けされるべきものではありません。これが、日本やヨーロッパの労働法制の大原則。
 それに対して、「年収で労働者保護もランク分けする」というのは、これは米国流の発想です。そもそも米国には日本の労働基準法に当る法律は存在しません。代わりに「公正労働基準法」という法律は存在しますが、其処には「×時間以上働かせる場合はコレコレの割増賃金を払いなさい」という事が書かれているだけなのです。過労死するのも、ゴマすりで自分だけはのし上がれると信じるのも、万事金次第で弱肉強食の世の中。これが米国株主資本主義の特徴・本質。それを後追いしようとしているのが日本。

(6)労使委員会決議と個人合意は歯止めになるか?

 WE導入に際しては、職場労使委員会の議決(8割の賛成)と対象者本人の合意が必要ですが、そんなモノは全然歯止めにはなりません。
 労使委員会の構成を、仮に使用者側5名、労働者側5名としましょう。5名の使用者は全員、「何が何でもWE導入」で階級的に固く団結しており、「アメとムチ」で労働者側を切り崩しにかかります。自分の身(労働力)しか売るものの無い労働者側は簡単に切り崩され、5名中の3名が導入賛成に回ってしまえば、それで「計8名=労使委員の8割が賛成した」という事で、簡単に導入されてしまいます。そんな中では本人合意の有無要件など屁の突っ張りにもなりません。

(7)休日保障は意味を持つか?

 また、WE導入の代替措置として年間104日の休日を対象労働者に付与する事が謳われていますが、これも導入の為のゴマカシにしか過ぎません。
 休日年間104日というのは完全週休2日に対応しています。「週休1日の義務規定しか無い現行労働基準法よりは良いではないか」と思われる向きも在るかも知れませんが、豈図らんや。
 いくらこんなモノを法律で決めた所で、「明日までに100件の契約を挙げて来い、出来ない奴はクビだ!」と言われたら、今の日本では我が身可愛さにしぶしぶ休日に出てきてタイムカードも打たずに「勝手に、自発的に」仕事をする社員ばかりではないですか。それが嫌ならトットと正社員など辞めてフリーターになるしか無いのですが、妻子持ちにそんな「自由な働き方」など出来る訳が無し、フリーターになればなったで、そこでも偽装請負などの違法労働がまかり通っている訳でしょう。
 一旦労働時間規制が取っ払われてしまったが最後、いくら形だけの休みを増やした所で、こんなモノは何の保障にもなりません。仮に休めたとしても、深夜の11時・12時・1時まで及ぶような労働実態の中では(そもそもWE賛成論者はこういう実態を知った上で発言しているのか?有閑ブルジョアの無知戯言なら只のバカ、御用労務屋の意図的発言なら鬼畜の所業!)、「ただひたすら寝るだけの休日」に終わってしまいます。こんな状況では労働者の人間的成長や社会参加は望むべくもありません(実はそれが資本の真の狙いなのかも知れませんが)。今でも不払い労働、不払い休日出勤が横行しているというのに、こんなモノなど何の屁のツッパリにもなるか!

(8)現行の合法的残業代不払い制度との関係は?

 今はともすればWEだけに注目の眼が注がれていますが、労基法改悪はそれだけに止まりません。管理監督者に対する適用除外労基法第4条)や裁量労働制の導入という形で、既に大幅に改悪されているのです。
 管理監督者というのは、労基法制定当初は、ホンの限られた重役クラス(今風に言えばCEOクラス)を指していたようです。しかし今では、バイト業務の穴埋めもしているマクドナルドの店長のような、実態的には現場の労働者としか言えない様な層も管理監督者の範疇に入れられてしまっています
 また裁量労働制について言うと、これは実際には規定以上の時間を働いても規定時間しか働いていないと看做される制度ですが、それが導入されたらどうなるかは、学校の教育現場を見れば一目瞭然です。教育現場では既に遥か以前の1971年から裁量労働制が適用されています。残業代が一切付きません。その結果は衆知の通り、風呂敷残業、フロッピー・CD残業の横行です。
 しかも、当初は「専門業務型」「企画業務型」という形で、あくまでも限定的に導入されていた裁量労働制ですが、一旦導入されると「小さく入れて大きく育てる」の例え通りに、その適用範囲が大幅に拡大されようとしています。中小企業では専門・企画・分析を「主たる」業務とする労働者に、という具合に。
 WEと引き換えに裁量労働制フレックスタイム制の更なる改悪が行われる可能性を見逃してはなりません。WE絶対阻止は勿論至上命題ですが、それだけを阻止すれば事足れりでは無いのです。労基法の骨抜き、WEと引き換えの代替改悪をこれ以上許してはなりません。WEもその他の改悪もNO!

(9)何故この様な矛盾に満ちた法律が出てきたのか?

 労働政策審議会労政審)の場では、WE導入と抱き合わせに、非WE労働者の残業割増率アップについても議論されています。根強いWE反対世論を意識して、残業割増率アップを先行実施する事も労政審の場では議論されているそうです(使用者代表は強硬に反対していますが)。尚、この「残業割増率アップ」は何ら実効的な措置を伴わない努力義務規定にしか過ぎず、その内容も隔靴掻痒としか呼べないような代物です。そういう意味では「WE導入の為のアメ」でしかありません。ただ、「何故この様な矛盾に満ちた法律が出てきたのか?」という事は、きちんと見ておく必要があります。
 厚生労働行政の中では、「労働者保護の建前」と「資本の代弁者としての実態」がぶつかり合っているのです。だからこういう相異なる方向の矛盾した議論や答申が出されるのです。しかし、その実態・本質はあくまでも「資本の代弁者」です。但し、厚労省はあくまでも「使い走り」であって、その裏で実際に糸を引いているのは、在日米国商工会議所・日本経団連・規制改革会議・経済財政諮問会議などの日米財界中枢に他なりません

(10)労働時間短縮に向けての課題は?

 WE導入絶対阻止と併せて、これ以上労基法を改悪させない闘い、改良していく闘いが求められています。今の様な三六協定さえ結んでしまえば何でも在り」のザルではなく、「どんな業種や雇用形態や職階であろうともこれ以上は絶対に働かせない」という形での、明確で実効性を伴った時間外の上限規制を要求していく必要があります。例えば、EU労働指令に見られるような、「時間外労働も含めて週48時間上限」とか「勤務終了から次の勤務開始まで最低10時間以上開ける」とかいう形で。その為には労働組合も、「安易に三六協定を結ばない」という姿勢を堅持すべきです。
 それと、資本の側からのマヤカシを打破していくだけの力をつけていく、つまり「人間らしい働き方」の論理を「資本の論理」にぶつけていく事が必要です。
 例えば、資本の側は、WEや成果主義賃金制度の導入に際しては、こういう事を言ってきます。「一生懸命仕事して8時間で仕事を終える人よりも、ダラダラ仕事して10時間かかって仕事を終える人の方が給料が高いのは、オカシイではないか?」と。しかし、それは詭弁にしか過ぎません。まずその8時間なり10時間なりの仕事の中身が重要です。手抜きや要領をかまして形だけ8時間以内に終わらせたのと丁寧に仕事をして10時間かかったのとでは、どちらが優れているのか。そもそもそういう仕事の中身まできちんと見て評価しているのか。上辺だけ、目先の数字だけ、見てくれだけで評価しているのじゃないのか(不二家パロマ、JR西の様に)。また、大器晩成型や新人で在るが故に時間がかかっているのかも知れないし、単純に鈍くさいからだけなのかも知れない。それならそれで、適材適所の人材配置や業務量の調整を図るのが、長や経営者の役目ではないのか。ところが実際は、最近の企業経営はと言うと得てして、安上がりの労働力を即戦力で採って使い捨てしているだけではないか。安上がりの外国人を雇って最低賃金以下の給料で働かしたり下請け虐めをしているだけではないか。「そういう、人材育成も業務量の調整も最低限の福利厚生の義務も放棄した単なる私利私欲の徒が経営や政治の実権を握っている方が、よっぽどオカシイじゃないか!!」